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聖母の記録編 - 猛獣の寝床と金の時計

2015/03/09 09:41

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 アーケード状になった猛獣の寝床に入る。
 塗炭や薄いベニアの壁に、廃線になった鉄道の高架下をそのまま利用したコンクリートの天井。剥き出しの電線にぶら下がった電球の灯りだけの薄暗い空間。だが思ったより天井が高い分圧迫感はない。
 昼間とあって人の気配は少ないが、あちこちから何かの這いずる音、遠い獣の唸り声、雑音だらけの音楽が聞こえ、薬なのか香なのかエキゾチックな匂いがするのは、排水や汚物の臭いをかき消すためのような気がしなくもない。自分は嗅覚は人並みだが、狐であるシンディは強化されているからかなりキツかったらしく、一瞬眉を顰めて嫌な顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻った。こういうところでは平静を装うのが得策と、自然に身についているのだろう。騒いだらどうしようと心配していたが、この娘は大丈夫みたいだな。
 二人並んでやっと通れるほどの狭い通路の両側には店舗……とも呼べぬような雑然としたものが並んでいる。とりあえず手書きの札や箱に値段がついているところを見ると売り物であり店なのだろう。一言で言えばここは怪しい市場だ。簡素な台やシートの上に並べられているのは誰か買う者がいるのかも疑わしい物ばかりだが。
 何かから外してきたであろう新品ではなさそうな色とりどりのケーブルや端子などの電子部品、旧世紀のもう使えないような家電はまだわからなくもないが、入れ歯や何の動物のものかもわからない骨や角、片方だけの靴、未使用でもない破れかけた絵葉書など商品になるのだろうか。自分は決して欲しいとは思わないが、ざっと下調べして来た限りではここは一部のマニアにとってはお宝の山だとの事だ。興味のある者が見れば結構価値のある物なのかもしれない。
 何故博物館から盗まれたファイルがこんな所に……と不思議でたまらなかったのだが、逆になんとなくここになら目指すファイルがさり気なく置かれていても違和感はなさそうな気がしてきた。
 あまりじっくり見ては失礼かと思い極力商品を見るふりをして目は合わせないようにしているが、それぞれにいる店主らしき者はぼほ全員A・H。それも人らしい部分も少ないような異形の者が多く合法範疇にあるような見た目のものは少ない。これらの商品をどこで手に入れてきているか不明だが、表で真っ当な職にはつけないであろう彼等なりの商いなのだろう。ある意味クーロンにいる者より逞しい。
 最初は怯えていたシンディも、流石はごく最近までクーロンに住んでいただけあって普通の女性なら固まりそうな場所でも慣れているのか落ち着いたようだ。ひゅう、と下衆く口笛を吹かれてもヒラヒラと手を振って愛想を振りまく余裕まで見える。この娘の肝が座っているのはひょっとしたら自分以上ではないかと思う。
 まだ突き刺すような視線と殺気は消えないが、シンディのおかげで助かっている気もするのがちょっと悔しい。
「あ、あれカワイイ」
 シンディが指さしたのは、もう動かないであろう古びた腕時計だった。アナログの旧世紀からデザインの変わらない高級時計は今でも人気だが、どう見ても金メッキの、しかも剥げかけたおもちゃのような安っぽいものだ。一体どこが可愛いんだシンディ……。
「姉ちゃん、ベッピンさんやな。勉強しとくで買ってぇな」
 やや訛りのある言葉で声を掛けてきたのは店主の犬っぽい顔の中年の男。傷で片目が傷でふさがってるが愛想は悪くない。垂れ耳と舌がずっとはあはあ出てるのが気になるが。
「いくら?」
「100やけど、70にしとく」
 ……たぶん新品でも10もしなかっただろうと思うのだが……。
「ザック、すごくオマケしくれるみたい。買ってよ」
「何故私が……」
 言いかけて、何やら閃いたので札を出してみた。
「50なら買わなくもない」
「もう一声、ね?」
犬の店主は難しい顔になったが、シンディにウインクされて折れた。
「しゃぁないなぁ。ほな50」
「きゃあ、半分にしてくれるなんて素敵。ありがと」
 ってか、半額にしても全然OKって事は最初の言い値はものすごくふっかけていたって事じゃないか。そのあたりに気がついて欲しいものだぞシンディ。
「まいど」
 一応布で拭いてから腕時計を渡してくれたので金を払い、シンディに渡してやった。
「男物だし、壊れてるぞ?」
「いいの。ブレスレットにするの。へへ、似合う?」
 早速腕に嵌めてご満悦のシンディは気がついていないようだが、やはりというか先程から感じていた張り詰めたような殺気が少し和らいだ。ただの客だと認識されたのだろうか。
 自分もシンディもノーマルの人間ではないが見た目ではほとんどA・Hとはわからない。中の異形のA・H達は想像以上だったので、変装でもして来た方が良かったかと後悔していたが、逆にこれでよかったのかもしれない。ってことはこの怪しい場所に来るのはほとんどがノーマルタイプの客だという事だ。
 だがまだどこからともなく視線を感じる。獲物を狙う捕食獣の視線。自分も狩る側の血が流れているがゆえかそれがわかる。雑多な音の中、視線の主の気配を探るがなかなか絞り切れないのが歯痒い。
代金は経費に回させてもらいたいが、残念ながら領収書は出なさそうだな……と我ながら細かいことを考えつつ、更に奥へ進むと、段々と店が減ってきた。切れかけた灯りがチカチカするだけの更に暗い内部。
 何メートルくらいあるんだろうな、このアーケード。もう入り口から50メートルは来たと思うがまだまだ奥がありそうだ。商品や店の雰囲気も変わってきた。理髪店なんかもあるし食べ物を出してるところもある。両側に店舗の無い部分は外でもそうであったようにあちこちにダンボールやシートを敷いた寝床っぽいところもあるから、ここの中の誰かが寝泊まりしてるんだろう。トイレ、水道なども見えるが共同で使っているみたいだ。細長いがもうこうなったらひとつの町と言えなくもない。
 猛獣の寝床か。よく言ったものだ。まだ猛獣と呼べるようなものには会っていないが、確かに表の世界では生きていけないような獣が寝床にする場所なのだとはよくわかった。
「目的の物はありそう?」
「どうかな」
「どういう物なの? 特徴を教えてくれたらアタシも探すよ?」
「いや、いい」
 目配せで今は聞くなと釘を差しておく。シンディも耳がいいので囁くだけで会話にはなるのだが、ここは他にも耳も鼻も利くものが多そうだから指示も密談もできない。その辺りは頭のいいシンディはわかってくれたようで安心したが、もう一つ何か買うか探すフリでもして一旦出たほうがいいかもしれないな。
「この先面白くなさそうだから引き返そう。ちょっと入口の方に寄りたい店があった」
 でまかせに言ってみた。勿論どこかで見張っている相手に聞こえるようにだが。
 まだまだ先はありそうだが更にディープな予感がする。なんとなく下見はさせてもらったので、シンディを安全な場所に置いてきてから仕切りなおしだ。一人なら多少の危険があってもなんとか立ち回れそうな気がする。
 踵を返して入り口の方に戻ろうとしたその時。
 ファ――――ン!
 車のクラクションのような歪んだ音が響いた。かなり大きな音だったので、視線の主を探ろうと極限まで澄ませていた耳には刺激が強すぎたが、折角ノーマルタイプのふりをしているのに耳を塞ぐのもマズイと思い必死で耐えた。
「つっ……」
 髪で隠していない方の耳の奥がじーんと痛い。
「何? 何の音?」
 これまた人より耳のいいシンディが耳を押さえてしゃがみ込んでいるのを慌てて立たせた時には、猛獣の寝床の中は先程までとは雰囲気が一変していた。
 続々と入口の方から人が流れてくる。
 それぞれの店にいた異形のA・Hの店主達だけではなく、どこかに潜んでいたのか、屈強そうな戦闘タイプのA・Hも見える。小走りの者、ゆっくり歩いてくる者と様々だが確実にこちらに向かって来ていた。
 潜入しているのがバレたのかと思い身構える。かなりの数だが、もしかかってきたらシンディだけでも守らなければ。
 だが、意外にもスルーされた。我々などいないかのようにすり抜けて奥へ流れる人波。それどころか、
「お客さんラッキーだね、いい時にいて」
 そう声を掛けられたりしたものだからもうワケがわからない。
「え?」
 先程時計を買った店の店主が目につき、思いきって訊いてみた。
「何か始まるのか?」
「お祈りの時間や。運が良かったら新しい巫女が見られるで」
 お祈り? 巫女? なんだそれは。
 仕事そっちのけで何やらワケがわからなくなってきたが、ここで流れに逆らうのもどうかだし……気にはなるが今の隙に脱出するってのもありかと思うが。
「どうする、シンディ?」
 声を掛けて横を見るとさっきまでくっついていたシンディの姿が見えない。
「おい?」
 足元にぽつんと落ちている金メッキの腕時計。
 いつの間にかシンディが消えていた。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13