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金の子猫と囚われの姫君

2017/02/24 09:04

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 警察署の昼下がり。
「ルピアちゃんはちっとも大きくならないねぇ」
 藤堂のおっちゃんが膝の上の僕を撫でながら言う。
 マユカと一緒に出勤するようになってもう二か月。
 そうだな、他の猫ならもう大きくなっているところだが、本来大人なのに魔力が失われた関係で子猫になっているのでどうしようもない。そもそもこの世界の猫じゃないし。
「こういう種類なのかねぇ?」
「うにゃあ」
 誤魔化すように鳴いておく。
 正直男は嫌いだが、このおっちゃんは好きだ。猫をどう扱っていいのかよく心得ているから、構って欲しくない時は放っておいてくれるし、遊んで欲しいときは遊んでくれる。何より、早くに死んだ父上によく似ている気がする。だからちょっと甘えたい。
 いい匂いというわけでもないが、なんとなく落ち着く匂いの膝の上でうとうとしかけていたら、突然大きな手が伸びてきて乱暴に撫でられた。
「でもいつまでも子猫のほうが可愛いからいいですよね」
「にゃに……」
 何をする! と言いかけて慌てて言葉をひっこめた。人の言葉で話すとマユカに叱られる。代わりにふーっと威嚇の声を上げておいた。
やっぱりお前か上杉。お前は嫌いだ。愛しいマユカの事を好きなのがわかるいわば恋敵。まあこの僕とマユカの相思相愛の中に分け入る隙など無いし、負ける気などさらさら無いが。
 こいつは絶対犬族だ。猫族として犬は好きではない。
「こらこら上杉君。突然上から触ったら嫌がるじゃないか」
 藤堂のおっちゃんが止めてくれたが懲りない男は無駄に大きな手で僕を抱き上げた。
 嫌だー! 離せー! 男になんぞ抱っこされたくない!
「もう、可愛でちゅねぇ。ちっちゃいくせに生意気に怒っちゃって」
 言っておくが僕はもうすぐ二十五だ。お前と一つしか歳が変わらないんだぞ。
 今はこのような子猫にしかなれないが、本当はお前よりも余程足も長いし、正当な王族であるこの僕とお前は比べようもないのだぞ! 顏だって極上スープとなべ底の焦げくらいの差があるしな。勿論なべ底の焦げはお前だ上杉。
 そんな男に赤ちゃん言葉で話しかけられて抱っこされるなど、屈辱以外の何物でもない。
 う、うおお……頬ずりするな……気持ち悪いいぃ! 助けてマユカー!
「ふぎゃっ!」
 宿敵上杉の鼻の頭に思いっきり爪を立てて、手が緩んだ隙に飛び降りた。
「痛いなぁ」
 知るか。二度と猫族の王たる高貴な僕に触るでないぞ、下郎め。怖い顔で睨んでしゃーっと声を上げておく。
「ひっかかれちゃいました」
「怒るよそりゃ……」
 半泣きの上杉とのどかな藤堂さんを尻目に部屋を出る。ここで一番偉い署長さんのおっちゃんも公認なので、僕はこの建物の中は自由に動ける。誰にも止められないし、ちょっと首を傾げてやればおやつもくれたりする。
 とりあえず男に頬ずりされたのを清めたい。マユカは今外に仕事に出てるし、他の部屋のお姉さんの所にでも行って甘えて来よう。ふふふ、この警察には美人のお姉さんも可愛い娘もいる。マユカに言ったら怒られるかもしれないが、テレビというので見るよりは長めの婦人警官制服のスカートも、猫の目線から見たら真下に行くと夢のような眺めだったりするのだ。足元をすりすりしついでに覗こうと、叱られるどころか喜ばれるし。
 人の姿であったならそう広くないであろう廊下も、今の猫の身にとっては大通りに等しい。
 のんびり隅っこの方を歩いていると、声が掛かった。
「おや、ルピアちゃん。お散歩かな?」
 むう……お姉さんに行き着くまでに署長のおっちゃんに見つかってしまった。
「部屋におやつがあるよ。干しカマ好きだよね? 来るかい?」
 行く行く。行きます。大好きだよ干しカマ! こちらの世界の猫の食べ物は非常に美味だ。特におやつ系はたまらない。マユカは健康のためとあんまりくれないけど、署長さんはよく美味しいものをくれる優しい人だ。今日は何味のおやつかな。この前のカツオ味は美味しかった。カニ味も捨てがたいが。
「にゃん」
 思わず足にすりすり。ほら、抱え上げて連れて行ってくれても良いのだぞ。
 いつもは怖い顔をしている署長が目尻を下げて自分にだけ笑ってくれるのも面白い。ふむ、猫でいるというのもこういう楽しみがあるのでやめられない。
「いい子でちゅねぇ、君は」
 ……ただ、一応成人男性として赤ちゃん言葉で話しかけられるのだけは勘弁願いたい。
 まあ、上杉と違い偉い人で美味しいものをくれるこのおっちゃんは許してやる。
 抱き上げられて機嫌よく署長の部屋に行く途中、さっきまで部屋でまったりしていた藤堂のおっちゃんと上杉の野郎がどかどかと廊下を走ってきた。
「署長、今東雲の班から連絡が!」
 いつものほわんとした藤堂のおっちゃんらしくない厳しい声。
 それよりもその言葉の中の名前にドキッとした。東雲ってマユカの事だよね。
「昨日から行方不明だった例の女児の件で、先程家族に身代金要求の電話があったそうで」
 僕を抱いている署長の手にちょっと力が籠った。見上げるととても難しい顔に戻ってる。
 身代金って、これまた物騒な話だな。要は女の子をさらって、返して欲しかったらお金を出せって事だよね。
 ふとヴァファムに寄生できないからと「飼われて」いた小さな子供達やお年寄りが思い出された。ウサギの親子にですら自分を重ねてマユカは酷く怒っていた。子供が被害者の事件にはマユカは酷く敏感だ。
「捜査は誘拐……営利目的の未成年者略取の方向に切り替えだな。分析班を家族の元に向かわせる。現場は課の方で引き続き捜査を続行してくれ」
「はい!」
 忙しくなったからか、署長はぽい、とよりによって上杉の手に僕を渡して行ってしまった。
 ああ……おやつが……。
「上杉君は東雲ちゃんの班に合流して手伝いなさい。こちらは他と両親のいる家の方に向かう。こまめに連絡を」
「了解しました!」
 おお、藤堂のおっちゃんがなんかカッコいい。お茶飲んでまったりしてるだけじゃないんだな。
 マユカ大丈夫かな。キレたりしてないかとても心配だ。マユカでなく、主にさらわれた女の子と、犯人の命が。
 ……いや、どうでもいいが上杉、なぜ僕を抱いたまま車に向かってるのだろうか? 気が付いてない? まあいいけど、マユカのところに行くみたいだし連れて行ってくれても。
 建物の外に出て車に乗り込み、座ってベルトを締める段でやっと僕に気が付いた上杉。
「あれ? なんで猫ちゃんまで?」
 お前が連れてきたんだろうが。幾ら忙しくて僕が軽いとはいえ気が付くだろう普通。
「困ったな、署の外で放り出したら東雲さんに殺されるし、急いでるし……」
 殺されはしないだろうが、確実に投げはされるだろうな。駐車場は車が動くから危ないと散々マユカも言ってたし、僕も怖い。
 すぐに無線とやらで上杉を呼ぶ声が聞こえてきた。
「今行きます!」
 大慌てで返事をした上杉は車のエンジンをかけた。どうやら課の部屋に置きに行く間も無いようだ。
「車の中で大人しくできる?」
「にゃん」
 そういうわけで、僕は初めて行き帰りのバスケット以外で警察署の外に出たのだった。
 
「上杉……なぜ現場にルピアを連れてきた」
 あ、マユカ怒ってる。
 気に食わない男ではあるが、これは成り行きなのであまり上杉を責めないでやってほしいし、技をかけると密着するのが嫌なので、マユカの手にすりすりしてご機嫌をとっておく。
「車から降りずにここで待ってる。邪魔しないから」
 小声で言うとマユカはやっとやや表情を和らげた。
「いい子にしてろよ」
 そう暑くなくなったとはいえ、日中の車内は危険だからと窓を開けてマユカと上杉、後数人が少し離れて話を始めた。
「女の子の無事は確認――――」
「この付近で最後に女の子が目撃され――――」
「通信記録で犯人の携帯の電波もこの付近の――――」
 なんか難しい話してるなぁ。気にはなるけどこの猫にはどうすることもできないから、昼寝でもして待ってよう。
 マユカ達は近くを捜査に行ったみたい。声も聞こえなくなった。
 車のシートってぽかぽか気持ちいいな。窓からは風がそよそよ。
 ふわああ、眠い。猫でいいところの一つはいつ寝てても誰も文句を言わないところで……。
 どのくらい経ったのかもわからない。丸くなってとろとろふわふわしてると、はっはっ、ふんふんと、なにやらいやーな音が頭上から聞こえてきた。
 そっと目を開けると、べろーんと長い薄い舌と尖がった牙、黒々光る長い鼻づらがそこにあった。しかもデカい。僕なんか一飲みにされそうな大きな……。
「ひいっ!」
 犬っ! かなりの大きな犬が窓に手を掛けて覗き込んでいる。
 わーん! 怖いよぅ!
「こら、だめよ」
 飼い主らしき女性の声が聞こえるものの、ぽた、ぽたと涎を垂らした口は閉じない。
 思わずしゃーっと唸ってみたけど、逆にばうっと吠えられて、思わず反対の窓から飛び降りてしまった。
「ワンワン!」
 追いかけてくるよぅ。怖いよー! がむしゃらに走って逃げた。
 しばらくしてはっと我にかえると、車が見えないところまで来てしまった事に気が付いた。

『一人で外に出るな。死ぬぞ』

 マユカが言ってたのが思い出された。
 ここは静かな裏路地みたいだけど、ちょっと先に見える大きな道路には車がびゅんびゅん走ってるのが見える。轢かれたら確実に死ぬ。上を見ると黒い大きな鳥……マユカが烏といってた……が、カアカアいってる。
 落ち着け僕。
 ああ、そうだ。マユカ達が戻ってくる前に車に戻ればいいんじゃないか。
 えっとぉ、車はどっちかな? 僕はどっちから走って来たかな? なんとなくうろうろしてみたけど、よくわからない。
 ってかそもそも、どんな車だったのか、その止まった外がどんなところだったかも見えてなかったような。
「にゃっ……」
 ひょっとして迷子? 僕、大人だから迷子という表現はどうかと思うけど。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。
 泣きたい気分でトボトボ歩いてると、塀の上から声が掛かった。
「こら、チビ。見かけない顔だがここは俺等の縄張りだぞ?」
 真っ黒の怖そうな顔の猫が、カーッと威嚇してきた。横には他の縞々のメスっぽいのもいる。
「まあまあ、あんな小さい子、勘弁してあげなさいよ」
 メスの方が宥めてくれた。この世界の猫はそんなに長生きじゃないから、確実に僕の方が年上なのだが、今は猫から見ても小さいもんな。
「とっととおうちに帰ってママのおっぱいでもしゃぶってな」
 面白くは無いが、ここは子猫のフリをしておいたほうが無難だな。
「ごめんなさい」
 早足に通り過ぎて、更に方向がわからなくなってしまった。
 多分本来の人の姿であったなら、もっと遠くまで見通せるし、実際そんなに車からはなれていないのかもしれないけど、この地面から顔までがそんなに離れていないところから見たら、世界は果てしなく広いように思えて仕方がない。
 車から降りないって約束したのに、マユカ怒るかなぁ。まず気になったのはそこだった。でも怒られてもいいから戻りたいよ……こんな知らない土地で離ればなれになんかなりたくないよ。魔力の件は同じ世界にいればマユカと多少離れていてもすぐに枯渇する事はないだろうけど、そのうち尽きるかもしれないし……。
 地味に歩き疲れてきた。この短い足を恨みたい。
 考えてみたらマユカの部屋と警察署以外知らない僕だけど、この辺りは普通に人が住んでいるような家が少なくて、何かを作る工場なのか倉庫なのか、そんながらんと大きな建物が多いように思う。だから余計に寂しいのかな。
 とぼとぼ。ああ、署長におやつももらい損ねたし、おなかも空いてきたなぁ……そんなことを考えながら歩いていると、子供の泣き声が聞こえてきた。
「ママー! パパー!」
「静かにしろ、外に聞こえる」
 すごく遠いけどそんなやりとり。
 声の聞こえた方に行ってみる。大きな倉庫みたいな建物。横の植え込みの下を潜り抜けて壁に近づくと、更に声ははっきり聞こえた。
 猫になってると、人間の時よりは耳がよく聞こえるのはちょっとした自慢だ。
「警察も近くをちょろちょろしてる。なんで殺しとかなかったんだよ?」
「馬鹿野郎、もし捕まるにしても誘拐の上に殺人までってヤバいだろ」
 ええと……なんかものすごく気になるんだけど。
 どうも二人男がいて、一人はやや穏健なようだが、これってもしかしてもしかしなくてもマユカ達が探してる犯人と誘拐された女の子がここにいるんじゃ……。
「なんか子供が好きそうなお菓子でも買ってきてやれよ。そしたら泣き止むだろ」
「ったく……」
 どこかにこの建物の中に入れるところが無いかな?
 ちょっと壁際を見て回っていると、換気用なのか、足元に細い窓があるのが見えた。ほんの少し、人の指二本分くらい開いてて、どうも声はそこから聞こえてくる模様。
 そーっと覗いてみると、薄暗いけど、箱が沢山おいてあるのが見えただけで、奥までは見えなかった。
「いい子にしてたら無事家にかえしてあげるからね」
 足音と、バタンとドアの閉まる音。
 しくしく泣く子供の声はまだ聞こえている。
 むう、流石に僕が幾ら小さくてもこの隙間からは入れないかな。手でかりかりしてると、もう少し隙間が広がった。
「うーん」
 ぎゅぎゅっと頭を突っ込んでみたら思いの外軽く窓が開いて、力をこめていた分勢いよく中に転げ入ってしまった。咄嗟に丸くなったので見事に二・三回転して最後は箱にごちんとぶつかって止まる。
「うにゃっ!」
 思わず声を上げて、慌ててあたりを見回したが、犯人っぽい男の姿はなかったのでホッとした。いやぁ、失敗失敗。
 うへぇ、なんか埃っぽい。
 舐めた手で顔を洗っていると声が掛かった。
「ころころしてきたねぇ。ごっちんこだいじょぶ?」
「だい……」
 いかんいかん。思わず大丈夫だと答えそうになってしまった。
 顔を上げると、声の主と視線が合った。
 うっ……!
 なんか今、頭の中でたららーんと音楽が鳴ったように思う。
 なんて可愛いっ! くりくりの大きな目にふっくらした頬、柔らかそうな黒い髪の毛。そこにいたのは小さな女の子。
 僕は決して幼女趣味があるとか、そういうのでは無い。女性はマユカ一人と心に決めている。でも何だろう、この女の子に胸がドキッとしたのは。
「ねこたん?」
 まだ目に涙を溜めたまま、驚いたように覗き込んでくるその顔。
 先の会話や声から察するに、この子が誘拐されたという女の子だろう。思ってたより幼い。三・四歳くらいだろうか。
「にゃー」
 とりあえず鳴いてすり寄っておく。小さな手が伸びてきて頭を撫でてくれた。
「ねこたんもママのところ、帰れなくなったの?」
 あ、また泣きそうな顔になってきた。
「みゆねぇ、よーちえんの帰りに知らないお兄さん達にママのところ連れてってあげるって言われて、車乗ったらここに閉じ込められちゃったの」
「うにゃぁ……」
 間違いない、やっぱりこの子なんだ。おのれぇ、誘拐犯め。こんな可愛い小さな子をかどわかすとは何たる不届き者! 親御さんもさぞ心配しているだろう。
「お兄さん達、怖いことはしないけど、おうち帰りたい。ママとパパに会いたいよぅ」
 僕をぎゅっと抱きしめて泣き出した女の子。
 まだ甘えたい盛りだもの、さぞ心細いだろう。
 ああ、マユカ。君がよく悲しい夢を見ていたね。僕は君の心の中を覗いてたけど、小さかった君もこんなふうに泣いてた。僕も幼いころに母と引き離されたから気持ちはよくわかる。
 そうか……この子を見た瞬間心が震えたのはきっと、小さかったマユカにそっくりだったから。自分にも重なるから。
 女の子の頬をつたって落ちてきた涙が耳に落ちて毛を濡らす。
 思わず声を掛けてしまった。
「大丈夫にゃ。おまわりさんがもうすぐ助けに来てくれる。だから泣かにゃいで」
「ねこたん……おしゃべりできるの?」
 あ、しまった。いかに幼児とはいえ人に言葉を話したら……。
 でも小さなお姫様は泣き止んだ。
 しばらくして、その可愛い顔にほんの少し笑みがのぼった。
「すごいね! 絵本に出てきた魔法のねこたんみたい!」
 絵本の魔法の猫……ま、まあ近いものはあるかもしれないけど。怖がってもそう不思議がってもいないしいいか。たとえ人に言いふらされても小さな子供の空想で片付くだろう。
「そうだにょ。僕はわけあってこんにゃ小さな猫ににゃってるが、本当は人間の見目麗しい偉いお兄さんにゃんだ。魔法も使えたんにゃぞ」
「わかった。悪い魔法使いに子猫にされちゃった王子様なんらね」
「そうにゃ。君を助けに来たのにゃ、お姫様」
 やや調子に乗ったが、小さなお姫様はすっかりご機嫌がなおった様子。
「でも僕が喋れることは大人には秘密にゃ。魔法がとけにゃくにゃるから」
「うん、ヒミツ。ナイショ。やくそく」
 女の子の手が握手するみたいに僕の手を握って振る。
 よかった。元気が出たみたいだ。こんな可愛い子に悲しい顔は似合わない。そうやって笑っててくれた方がいい。少しでも怖い気持ちを忘れられるならいいよね。
 すぐ近くにマユカ達がいる。早くここを見つけてくれたらいいんだけど……。
 そのとき、ドアが開いた。慌てて女の子のスカートの中にもぐって隠れた。
「一人で何を喋ってるのかな?」
 わりと穏やかな男の声。殺してとか言ってた方とは違うみたいだ。
「よーちえんの絵本、思い出してたの」
 おお、なかなか機転の利く子だな。うまく誤魔化してる。
「そっか。もう少し待ってな。もう一人がお菓子買ってきてくれるからな」
「うん……」
 気の短そうな方は今買い出しに出てるのか。これはいいことを聞いた。
 バタンとドアが閉まって、また男は行ってしまったみたいだ。
「ねこたん、行ったよ」
「よし、何とかしておうちに帰れる方法を考えよう」
 そーっと、僕が入ってきた窓の方に、女の子と行ってみた。いくら子供とはいえ、ここは流石に人間は通れない。そもそも通れたら女の子だって普通に逃げられる。
 うーん、何かいい方法が無いかな。
 僕がもう少し大きい猫か、いっそ人間に戻れたらいいんだけど。
 まだ魔力が足りない。もうほんの少しでもいいから魔力があったら。一瞬でもいい、元の姿に戻れたら、大人しそうな方一人だけだったら引っ掻いてでも倒せそうな気がしなくもないんだけどな。
 ちら、と見上げると女の子がにっこり笑った。
「お姫様のキスで元にもどれるかもしれにゃいんだけど」
 幼児相手に何を言ってるのか僕は、そう思わなくもないが、逆に相手が小さい子だからそう恥ずかしくもないというか。いや、勿論冗談だ。そもそもマユカ以外の人間と幾らキスしたところで魔力が戻るわけでもないのだ。でもなんとなく苦し紛れに言ってみた。
「わかりまちた。王子たま」
 え? 
 怖いな子供って素直で。
 ひょいと抱き上げられたと思うと、何のためらいもなくキスされた。というか……勢い良すぎてぶつかったみたいでちょっと痛かったんだけど。
 ……うん、やっぱり何も起こらないな。
 そりゃそうだな、と納得しかけた時、おかしな感覚に襲われた。
 なんだ、これ? なんか変な気分。全身に電流が走ったみたいな感じ。
 マユカの魔力補給の癒される感じとはまた違うけど、ものすごい力が漲ってくる!
 気が付くと、僕は立ち上がって、さっきまで見上げていた女の子を見下ろしていた。
「わぁ……本当らったんだ……」
 女の子はぽかーんと口を開けて見上げている。
 僕は人間の姿に戻ったみたいだ。ちなみにちゃんと服は着ている。
「それではおうちに帰りましょうか、お姫様」
 お辞儀をして手を差し出すと、小さなふくふくの手が伸びてきた。
「王子たま、カッコいい……」
 さて。期待を持たせたのはよいが、本当に犯人を伸せるか心配になってきた。もしナイフとか武器を持っていたらどうしよう。
 まあここまで来てやっぱり無理っていうのもなんだし。
 お姫様にちょっと隠れているように言って、トントンと扉をノックしてみる。
「どうした?おしっこか?」
 さっきの男が扉を開けた。顔を出した途端に最大に伸ばした爪で顔面をばりっ。
「わあああぁ!」
 顔を押さえて男が倒れこんだところで、女の子を抱えて走り出た。
「ま、待てっ!」
 ゴメン、瞼は閉じたから眼球は大丈夫だと思うけど、目はあけられないみたいで男は這いずってる。
「王子たま強いんですね」
「まあね」
 出た先はどうやら倉庫の事務所の部屋のようだ。デスクと電話、それに物入れのロッカーらしきものが並んでいる。
 よし、このまま外に……そう思ったが、今出てきたドアの反対側、恐らく外への扉の向こうから足音が聞こえた。
「おーい、帰ったぞ」
 うっ、しまった。もう一人が帰ってきたみたい!
 女の子にしーっとやって、抱えたまま部屋の隅にあったロッカーに身を隠した。
 ガチャリと乱暴に開いたドアの音。
「ったく、なんで使い走りしなきゃ……」
 愚痴る声の後、かさっと袋でも落としたような音がした。
「おい、どうした?」
 ケガしてるもう一人に気が付いたみたいだな。
「突然誰かに襲われて、ガキに逃げられた」
「なんだよそれ!? いつだ?」
「ほんの今しがた……すれ違わなかったか?」
「いや、誰も出てきて無いぞ?」
 うん。出てないもんまだ。
「どっかに隠れてやがるんじゃねぇか? 猫に引っ掻かれたような傷だな。いつの間に入り込んだんだ。見つけたらぶっ殺してやる」
 かしゃん、ってなんか音がしたけど、ナイフでも出したのかな?
 うわー、これ困ったな……どうしよう。そう思ったとき。

『ルピア! どこだ!?』

 あ、今マユカの声が聞こえた気がした。僕を探してる? 車に戻ったら僕がいなくなってて慌てたんだろうか。
 ……待て。彼女の声が聞こえるということは、僕の声も前みたいに届かないだろうか。今は人間の姿だ。魔力も多少なりとも復活してる。心の奥深くで繋がってる僕達だもの。きっと……。

『マユカ、ここ! 助けて!』

 猫の姿で見てきた建物の様子をイメージに乗せながら訴えてみる。届くかな。届くといいな。僕はともかく、このままじゃこの女の子まで余計に危ない目に遭わせてしまう。

『すぐ近くだ。待ってろ。今行く!』

 お願い、早く来て。
 バタバタと音が聞こえる。犯人が僕達を探してる。
「こらぁ! 出てこいや、ぶっ殺してやる」
 わぁ、ものすごく柄悪い。怖いなぁ。
「ねこたん……」
 不安になって来たのか、女の子の僕にしがみつく手に力が籠ってる。暗いロッカーの中でも今にも泣きだしそうなのがわかる。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 もう少し我慢してね。ゴメンね、弱い王子様で……。
「ここかなぁ?」
 違うロッカーが開けられた音。
「じゃあ、ここか?」
 ああ、今のは隣! 振動でわかる。
「ふふん、ここか!」
 ついにこの扉にたどり着いた。
 鍵の部分を懸命に抑えて開けられないように抵抗するも、これでは正解だとバラしてしまったようなものだ。がちゃがちゃと扉が揺すられ、バンバン叩く音が聞こえる。蹴とばしてるのかもしれない。
「わかってんだよ! 出てこいガキ」
 押さえてる手が痛い。ああ、なんだか急に力が抜けて来た気がする。ひょっとして時間切れ? 僕はまた猫に戻ってしまうのか……。
 ついに扉が開けられ、明るい光が差したと同時に、怖い表情の若い男の顔、ぎらっと光るナイフが見えたと同時に気が遠くなった。
 ごめんね、小さなお姫様。僕は役立たずで……。
 でも、一向に男は襲ってこなかった。
「未成年者略取、児童誘拐の罪で逮捕する」
 きりっとした声。
「あの、東雲さん? 犯人気を失ってますけど……いきなり飛び蹴りはよくないかと」
 間の抜けた声。
「美結ちゃん、無事でよかった。ルピアもな」
 目を開けると、一番見たかった顏、僕の本当のお姫様がにこりともしない顔で覗き込んでいた。僕はすっかり子猫に戻っているようだ。

「まったく! 結果オーライだったとはいえ、なぜ車から出た。危ないんだぞ外は!」
 マユカが怒ってるけど色々話すのもおっくうなほど僕は疲れている。とにかく今はゆっくり署長がくれた干しカマカツオ味で癒されたい。
「……幼児の逞しい想像力として誰も信用していないが、美結ちゃんが魔法の子猫ちゃんがお姫様のキスで金髪のカッコいい王子様になって助けに来てくれたとか言ってたなぁ……」
 ぐごっ。干しカマが喉に詰まりそうになった。
「あにゃっ、それはそのっ……」
「何を慌てている。まだ変身できないんだろう? まあいい。みんな無事でよかった」
 ナデナデ。ああ、やっぱりマユカに撫でられるのが一番いいな。
「お前のおかげで間に合ったおまわりさんになれた」
「あの女の子の心に傷が残らなきゃいいんだけどね」
 可愛い子だったな。きっと大きくなったらマユカみたいな美人になるだろうか。
「後でゆっくり魔力補給してやるから、今日は休め。もうどこかに行ったらだめだぞ。こっちの心臓が持たない」
「うん」
 もう一人で迷子になるのはこりごりだ。

 こうして三歳の少女の誘拐事件は無事解決したのだが、犯人の一人に鋭い爪痕を残した猫と思しき生き物と、少女の証言に出てきた金髪の王子さまは誰なのかわからないままだったとかなかったとか。
 あと、マユカ以外の相手にキスされて変身できたのがどうしてなのかも、僕の中での秘密である。きっと、子供の純粋な心が大きな力を生み出したんじゃないかなーと思ってはみたけどね。

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