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第三話

2015/03/12 08:14

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 共に人目を忍んでの森の中の逢瀬。
 それでもカリウスもレビナスも満たされた思いだった。
 魂ががひとつの鏡であれば、今まで二つに割れて失われ、半分しか世界を映していなかったいたものが、一つの大きな鏡になってやっとはっきりと全てを映したかのような。
 口づけも、抱きしめ合う腕も、何もかもがしっくりとはまる。他の誰かなどもう考えもつかないほどに。一緒にいられれば他に何もいらない、そう思えるほどに。
 レビナスの柔らかな肌に唇を寄せ、カリウスは僅かばかり眉を寄せた。
 歳よりも経験の少ない二人は未だ完全に繋がり合う術を知らなかったが、それでも互いに触れ合うだけでこの上なく幸せだった。
「どうしよう、今幸せすぎて少し怖い」
「僕も」
 カリウスの少し固い髪を指で梳きながらレビナスが困ったように微笑んだ。
 傍にいるだけで全てが満ち足りる幸せと同時に、会えない時間が長く辛く感じる。そして今が幸せな分、後で大きな不幸が来るのではないか、そう思えるのだ。
 この辺境の田舎にまで戦が悪化しているとの声が届いてくる。元々が自給自足のような村だから人々も食うには困らないが、町からの嗜好品や衣類などの流通は滞りがちになり働き盛りの男性は何人も兵に取られていった。
 このヴェーレン側から仕掛けた戦争。隣国ギタンは小さいが資源が豊富な豊かな国であり交易の要。徹底抗戦を見せ陥ちる気配はない。他の大国もそこへ参戦し、今や四つの国が争う混戦状態。不毛な戦いはいつまで続くのかもわからない。
 カリウスも今すぐにでも行かねばならない身であるとわかっている。
 それでもやっと出会えた愛しい人と離れたくない。
 このままどこかに二人で行ってしまえないだろうか……だが行く宛など無い。この村だからこそこうして羽根のある人がいても誰もそっとしておいてくれるが、外ではそうはいかない。
 人目についてはならないレビナスと逃げ場のないカリウス。
 それでもこうして寄り添い合う時間だけは全てを忘れて幸せで、そして怖かった。


 やはり彼等が幸せ過ぎたと感じた日々は長く続かなかった。
 ついに都にいるカリウスの父自らが、戦に出よとの王の命令を持って、息子を迎えに来るとの便りが届いたのだ。書簡に記された出立の日付は明後日の朝。もう残された時間はわずかしかなかった。
「イヤ、嫌だよ!」
 カリウスが別れを告げると、レビナスは泣き崩れた。
「俺だって嫌だ。だが逃れようが無いんだ。戦場では沢山の人が今も戦っている。俺だけがこうしていることは出来ないんだ。一度でも行かないと……」
 本当はレビナスを連れて行きたかった。他の羽根のある人が欲望にまみれた人間に捕まりどのような目に遭わされたのかはカリウスも聞き及んでいる。残して行った後が心配なのだ。いっそ目の届く所に匿っておければ、いかに人の目の多い都でも自分が守れるのにと。
 もうカリウスには覚悟ができていた。全てを父に包み隠さず話そうと。厳しく難しい父だがよい働きを見せれば納得してくれるかもしれない。
「絶対に生きて戻ってくる。ほんの少しの間だ……父上に君を都に連れていけないか相談する。そうしたら、その素敵な羽根は隠しておかなければいけないけど、もうずっと一緒にいられるかもしれない。聞き届けてもらえるためにも頑張って戦果をあげなきゃいけないだろ?」
「……本当に帰ってくる?」
「ああ、絶対に。でもその間に君が誰かに捕まったりしたらとそれが一番気がかりだ」
「見つからないようにするけど……」
 カリウスは気が付かなかったが、この時レビナスにも覚悟が固まったのだった。
 一緒にいたい、離れたくない。その方法はレビナスに一つだけ思い当たることがあった。
「ねえ、カリウスは僕のこの羽根が好き?」
「好きだよ。大好きだ。でも羽根があっても無くても君が好きだ」
「僕もカリウスの事が大好き。すごくすごくすごーく愛してる」
「俺も。レビナスのことがこの世で一番大事だよ」
 長い長い口吻の後、二人は涙を堪えそれぞれの家路についた。

 都から早馬でも一日かかる村にカリウスの父メリウス将軍が着いたのは翌日の昼だった。もう病弱だった母が亡くなった今、久しくこちらに来ることも無かった父の来訪とあって、カリウスも緊張していた。村人が大歓迎する中、数騎の騎馬兵を引き連れた将軍が堂々とやってきた。
 既に仕度も済ませ、後は今夜をこちらで過ごして明日の朝都に経つばかりのカリウス。
 一つ気掛かりだったのは、朝素振りに庭に出た時に珍しくレビナスが来なかったこと。羽根が濡れて飛べない雨や雪の日、大風の以外はほぼ毎日姿を見せるのに。今日は朝から晴天にも関わらず。ひょっとして自分もそうなように、別れの決心が鈍るといけないからかもしれないと納得しつつも、姿が見えないのが寂しくて辛かった。最後にもう一度でいい、その姿を焼き付けたかったのに。
 そんなカリウスの気持ちなど知りようもない将軍は、久しぶりに見る逞しく育った息子を目の前に機嫌が良かった。
「カリウスよ、立派に成長したな。剣技、体技、知恵共に軍人として申し分ないと聞き及んでいる。初陣には少々遅すぎるくらいではあるがよい武人になれよう」
 登用した前王が寛容であったのもあるが、元々この近くの寒村の生まれでそう位の高い家の出でも無く、己の武運だけで将軍にまで上り詰めた父をカリウスは尊敬しているし、その役に立ちたいと思っている。レビナスに出会う前はそれがカリウスの全てであり、そのために黙々と鍛錬を積み重ねてきたのだ。
 だが今はもっと大事なものか出来てしまった。
 人払いをし、装備を解いて居間で寛いだ父に、カリウスは覚悟を決めて声を掛けた。
「父上。お疲れの所申し訳ないのですが、お話がございます」
「何だ、申してみよ」
 勧められるまま、向い合って椅子に掛けたカリウスは大きく息を吸い込んで切り出した。
「俺は都に上り軍人として貴方の下につき戦場に参りましょう。必ずやお役に立てると自負しております。しかし、一つだけお願いがあるのです」
「願い?」
「この村に生涯の伴侶と決めた者がおります。もし一度でも戦果を上げた暁には、その者を迎えに来て一緒に都に連れて行ってはいけないでしょうか」
 言い切ったカリウスに、表情も変えず将軍は僅かに頷いただけだった。
「ほう。妻を娶るというか。よい話では無いか。別に後で無くとも今すぐにでも連れて行っても良いのだぞ」
「妻……というか、その……」
 美しいが相手は普通の人でも女でも無いのですがと、続けられずカリウスが言い澱んだ時。
 屋敷の玄関のほうが俄に賑やかになり、二人は立ち上がった。
「カリウス様っ! カリウス様!!」
 使用人の悲鳴にも似た声が聞こえる。
 父との話もそこそこに、自分を呼ぶ声にカリウスは風のように玄関まで走った。
 半開きのドアの手前で数人の使用人が青ざめて立ち尽くしていた。その様子は尋常ではない。
「どうした?」
「これ……を……カリウス様に渡してくれと……」
 背を向けていた一番年かさの使用人がゆっくりとカリウスの方に向き直り、抱えていたものをガタガタと震える手でカリウスに差し出す。それは白く大きな翼。
 今しがた切り落としたばかりという切り口も生々しいあちこち血に汚れたそれ。
 我が目を疑い、カリウスはすぐにそれが何なのか理解できなかった。
 これほどまで大きな翼を持つ白い鳥はこのあたりにはいない。いや、この羽根を持つものがいるのはわかっている。わかっているが頭が結びつけることを拒否しているのだ。
 この白いだけでなく真珠のような光沢のある羽根。見覚えはありすぎるほどあるのに認めたくないのだ。
 羽根を受け取らず、カリウスはのろのろとドアを開ける。
 そこには血だらけの人が倒れていた。
 朝、逢えなくて寂しかったのに。その姿を見たくて堪らなかったのに。
「レビ……ナス?」
 石の階段に広がる血だまり。衣も金色の髪も白い肌も血にまだらに染まり、それでも起き上がろうとしている姿に、カリウスはすぐに動けなかった。
「カリウス?」
 弱々しくあがった声にやっと慌ててカリウスは駆け寄った。
 抱き起こすとカリウスの腿に温かいものが伝った。ただでさえ白いレビナスの顔は蒼白で、いつも薔薇色に潤む唇は青ざめ、それでもカリウスの顔を見て笑みを浮かべた。
「自分で……やったらいっぱい血が出ちゃって汚くなっちゃたけど……ごめんね」
 カリウスは今度は耳を疑った。自分で? この非力な手でか?
「なんてことを! 君はなんて事をしたんだ!」
「ふふ……羽根、持ってるといい事あるって……だからカリウスにあげるね。戦に行っても怪我をしないで無事に帰って来られるように。それに、僕、これで普通の人になったから、もう誰かに狩られないよ。カリウスの心配、少し減る……でしょ?」
 たどたどしい言葉で笑みを崩さず言い切ったレビナスは得意気にすら見える。もう驚きとか悲しみすらも通り越して、カリウスは怒りさえ覚えた。
 こんな姿を見たくないのに。血を流したり痛い目に遭うのを見るくらいなら我が身が変わってやりたいくらいに大事なのに! 怒鳴りつけそうになって堪えたカリウスの腕の中で、レビナスは気を失ったようだ。やり場の無くなった思いは叫び声と涙になってカリウスから溢れでた。
「わああああぁ――――!!」
 レビナスを抱きしめてカリウスは吠え続けた。
「何事か?」
 話途中で置き捨てられていた将軍の声に、誰も答えるものはいなかったが、使用人の持っている一対の翼と血だらけの人、泣き叫んでいる息子。その状況で一瞬で将軍は全てを理解した。
「早く傷の手当をしてやりなさい。ちゃんと血止めをしないと死んでしまうぞ」
 冷静な将軍の声だけがその場の唯一の救いであった。


 きちんと手当をしてもらい、レビナスは傷に触らないよう寝台にうつ伏せで眠っていた。出血は収まり痛み止めの薬草は与えられたようだが、やはり痛むのか時折眉を寄せて小さくうめき声をあげるのが痛々しい。
 もう命に別条はないと医師は告げたが、カリウスはその傍らを離れることは出来なかった。ただ寝台の横に跪き、小さな白い手を握って見守るしかない。
 そこへ将軍がやって来た。
「父上……」
 レビナスの手を放してカリウスが慌てて立ち上がると、代わりに将軍が静かに近づいてきて覗きこむように寝台の横に立った。
「お前が生涯の伴侶と決めたというのはこの者か? 羽根のある人……だったもの。少女のようにも見えるが女ではないようだな。お前は男を妻に迎えるつもりか?」
「……はい」
 静かだが厳しい口調だった。ああ、もう終わったかもしれない、カリウスは絶望に近い気持ちで思ったが、以外にも父は平静だった。 
「まあ……子を成すつもりが無いのなら誰を愛そうと自由ではあるが。この美しい見た目に惑わされただけならば許さぬぞ」
「いいえ! 断じてそのような軽い気持ちではありません!」
 やや声を荒らげて、将軍に静かにと諭されてカリウスは慌てて口を押さえた。幸いなのか意識も戻らぬほどなのか、レビナスは目を覚まさなかった。
 カリウスにしか触ることを許されなかったレビナスの金の柔らかな髪を、慈しむように撫でた父の顔が悲しげに微笑んだのはカリウスに見えたろうか。鬼と謳われる将軍の顔が。 
「やはり……お認めいただけませんか。人でもなくましてや女でもないなどと……」
 目の前が暗くなるほど沈みかけたカリウスに目を遣るでもなく、父は答えた。それは認める認めないの返事ではなかった。
「カリウスよ、逆にお前に問いたい。お前はこの者のために腕や足を自ら切り落とし差し出せるか? 人であることをやめ、他の獣に変われるか?」
 いきなりの父の問いかけに、カリウスはどう返答していいのか困った。
 レビナスのためなら出来そうな気がしなくもない。だがそれではこの手でレビナスを守ってやることも出来なくなるし……。
 すぐに答えない息子に、父は続けた。
「頭で出来ると思っても出来ぬであろう。私にも無理だ。だがな、羽根のある人にとって羽根は体の一部。か弱く長い距離を歩くことも出来ぬ彼等にとっては人の足と同じ。そして羽根を失うことは一族からの永遠の別れ。それを迷いもなくこの者はお前に差し出したのだぞ」
「ああ……!」
 言われてみて初めて事の本当の重大さに気がついたカリウスはその場に崩折れた。この世の全て、誰にもこの気持は負けぬと思っていたが、それほどまでに自分を思っていたとは。完全に負けているではないか、そう思うとカリウスは自分が情けなく、このように傷つけただけでなくもう後戻り出来ぬ存在にしてしまったことを全力でレビナスに詫たかった。
 今にも光の中に消え入りそうな儚い姿にこれほどまでの意思を隠していたとは。
「何という意志の強さだろうか。それほどの覚悟を見過ごせまい。もはやこれはお前の望みと言うより、この者のため認めてやらねばどうするか」
 もう一度レビナスの髪を梳くように撫でた父の目に、カリウスは微かに光るものを見た気がする。
「レビナス、レビナス……ああ、君はなんて強いのだろうか」
 カリウスが手を握ると、痛みに眉を寄せていたレビナスは穏やかな表情になった。そんな二人を見て、将軍ももはや仲を裂くのは無理だと納得を深くしただけだった。
 そして大きく息をついた。
「お前にも黙っていたが、お前が羽根のある人に惹かれるのは血のせいかもしれぬ。ならば私にも責任がある」
「え?」
 語り始めた将軍の言葉。それは告白であった。
「不思議に思わなかったか? 体が弱かったとはいえなぜ私が最愛の妻をこのような田舎に離していたのか。都のほうが良い医師もいるし何時でも会えるのに」
 それは薄々カリウスも思わなくもなかった。ただ空気がよく人の少ない環境で保養するのと、母の故郷が近いからだとしか聞いていなかったが、母方の親族には会ったことがない。
「この者も、お前にも半分同じ血が流れているから、同族として惹かれ合ったのだろう。もう羽根のある若い女はいないというしこうなるのは必然であったのかもしれぬ」
 遠回しではあったが、父のその言葉の中に含まれた意味に気がついた時、カリウスは驚きそして戦慄した。
「では母上は……」
「そうだ。この者と同じ、羽根を失くしたもの。流石に自分で切り落とすなどという無謀な事はせなんだが。それでも長い間飛べぬ身になったことを悔やんでいた」
 確かに父や自分とは似ても似つかぬほど母は繊細で儚げな美しい人であった。羽根のある人と普通の人が交わって出来た子には羽根もなく、普通の人と変わりないと言うことはカリウスも聞き及んでいる。
 考えてみればなぜ今まで気が付かなかったのだろうかと思うほどに、母はレビナスとよく似ていなかっただろうか。少なからず男児はどこかしら母に似たものを恋の相手に求める。将軍が言ったように、これは必然であったのかもしれない。
 今までカリウスが見過ごして来た、いや見ぬふりをして来た小さな疑問や不思議なことが全て何もかもが腑に落ちた気がした。
 父が一代で今の地位にまで上り詰めたのも、羽根のある人の招く運も味方したのであったら。屋敷からほとんど出ることも無かった母は、近くにいても同族に戻れぬ身であったからだったら。支えがないと長い距離を歩くことも出来なかったのは羽根を失ったからだったら。
「結局、親子で同じ道を歩くと言うわけだ、カリウス。むしろこれをもう繰り返さないために子を成せぬ相手を選んだ事はよいことなのかもしれぬ」
 ああ……なぜもっと早くに言ってくれなかったのだと父を少し恨む。いや、なぜもう少し早くに相談しなかったのかと自分を呪いたくなったカリウスだった。
 レビナスをこんなに辛い目に遭わせなくても済んだかもしれないのにと。
「ただ一つ、言っておかねばならぬことがある。他者の運を招くという力は羽根自体にあるのではないのだ。その存在そのものが持っているものであり、羽根を切り落としたとて失われるものではない。もしもこの者が元は羽根のある人だったとわかった時には少なからず狙われる事になろう。だから私は妻を都から遠ざけ、この地に置いていたのだ」
 なるほど、とカリウスは最後の納得をした。
「もう一度問うぞ。お前は何があってもその者を守る事が出来るのか? 戦からだけではなく、その者を欲する者達の目からもだぞ。その覚悟は出来ているのか?」
「絶対に! 命にかえても」
「ならば反対はしない。妻として一緒に連れて行くがいい。都の屋敷で丁重に扱おう」
 踊り出したいほど嬉しかったカリウスだが、流石に自重はした。
「あー、なんだ、その……一応表向きは女と言うことにしておくようにな。鬼将軍の息子が男嫁をもらったと言われるのはな。まあ見た目ではバレまい」
 困った様に付け足すのを忘れない父は、思っていたより話のわかる男で良かったと息子はホッと息をついたのだった。

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まいるどタブレット小説 Ver1.13