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第二話

2015/02/26 09:48

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 緑豊かな森の国ヴェーレンには人だけでなく、天より降ってきた背に鳥のような翼を持つ美しい者達が沢山住んでいた。羽根のある人……そう呼ばれる。
 男も女も心優しく平和を好み、空を飛ぶ事と美しい事以外、華奢で腕力も無く力仕事も剣を振るい獣と戦う事も出来なかった彼等だが、人が彼等を手助けして共にあった。代わりに羽根のある人は繊細な機織り作業や芸術、学問を伝え、美しい声で歌を唄い舞を舞って人を癒やした。また、その羽根には不思議な力があり、手にしたものに幸運を招いたゆえ大事にされた。
 時が経つにつれ、人と交わり子を成す者も現れたが、子等に翼はなく、徐々に人と同じ姿に変わっていった。
 男女を問わず繊細優美なその姿と幸運を招く力を欲し、権力を握る者達は我が物にしようと躍起になり、そしてほとんどが狩り尽くされて今日に至る。
 それでもまだ、少数の羽根を持つもの達は残っている。人里離れた山奥に身を潜め、ひっそりと命を繋いできたのだ。
 部族ごとに沢山の小さな国に別れていた世界は、混乱と戦いを繰り返し、幾つかの大国にまとめられ、元々大きな国であったヴェーレンも静かなままはでいられなかった。
 小さいが豊富な資源を有する豊かな隣国ギタンを各国が狙っている中、穏健派の前王が崩御したのを切欠に、跡を継いだ若い王は兵を上げた。
「元々同じ民族であるギタンの地を手中にすれば、他の国の侵攻も抑えられよう」
 そして長い戦いが始まった。
 戦争が始まり、武運と富を招くために力を求めるものは今までにも増して羽根のある人を求めるようになった。


 山奥の小さな村に住むカリウスは十七になった。
 ヴェーレンの王に仕える将軍の息子だが、小さな頃から体の弱かった母と共に父の領地の果ての空気の良いこの村に来て以来ここで育った。
 体が丈夫で大きく、誰よりも早く走るカリウスは剣の腕が達者だ。幼い頃より大人相手に鍛錬を積み重ねてきた事もある。家庭教師がついて教養も身につけなければならなかったが、それもそこそこに表で体を動かす方が好きな質だ。気さくで飾り気の無いカリウスは村の者にも慕われる好青年に育った。
「今日も見に来てるな……」
 庭で剣の素振りをしていると必ず木の影からこっそり覗いている小さな姿。
 その気配を感じるだけでカリウスは嬉しくなる。
 名前も歳も知らない。男なのか女なのかもわからない。ただ時折見える白い小さな手と淡い金色に輝く髪がとても美しいということだけしか。顔をそちらに向けるとさっと身を隠すので顔を見たこともない。これがもう一年以上続いているのだ。
 はじめは訝しんで声を掛けようかとも思ったカリウスは、森の中に消えていく後ろ姿に白い翼を見て、ああ、あれは羽根を持つ人なのだと納得した。この村では羽根を持つ人にこちらから声を掛けてはいけない決まりになっている。もし他所の人間に見つかったら捕まって権力欲しさに上のものに差し出されるだろう。それを何度も見てきたがゆえの村人のせめてもの気遣いだ。特に父が王に近いところにあるカリウスは、親しい者にも秘密にしておかねばと、誰にも話したこともない。
 ただ、カリウスはずっと見ているだけの木の向こうの存在が気になって仕方がない。
 好意を持ってくれているのだろうか、どんな顔をしているのだろう、どんな声なのだろう。ちゃんと見たことも無い相手なのに、愛しさを覚える。たまにいないと何かあったのだろうか、怪我でもしたんじゃないだろうか、人に捕まったのではと心配にすらなる。
 カリウスは十八になったら都へ上り、軍人になることが決まっている。
 この辺りはまだ静かだが、同じヴェーレンでも隣国の近くではすでに戦禍の広がり始めた時期、前線に送り出されるのは必至。そのために剣の腕を磨き、功を上げられるように鍛錬してきたのだから。
 その前に、一度でいいから木の向こうの羽根のある人の顔を見てみたい、話してみたい。こちらから声を掛けられないなら、向こうから話しかけてくれないだろうか。カリウスはそう待ち続けていた。

 ああ、今日もいる。初めて見た時から気になって仕方がないあの人……。
 簡素な薄い服の上から痛いほど打つ胸を押さえて、木の陰から剣の練習をしているカリウスを見つめながら彼は安堵の息をついた。
 森の奥深く、もう十人もいなくなった羽根のある一族の村で一番若く美しいレビナス。
 羽根を持たぬ人に捕まった者は誰も無事に帰って来ず、またある者は身を隠し続ける事に疲れ、自ら翼を切り落として人に紛れて暮らすために去っていった。あまりに少なすぎ、血の濃くなった今子を設けるものもいない。そもそももう若い女がいなくなった村はこれ以上数が増えることはないだろう。他にもこうしてどこかで隠れ住んでいる同族がいるかもしれないが、危険を冒して伴侶を探しに出られるほどの勇気は彼等にない。恐らくレビナスが最後の代となるだろう。そんな貴重な生き残りの一人だという意識は本人には無いが。
 緩やかに滅びを待つ村で、息を潜めてずっと身を隠しているのは、まだ若く好奇心の塊のようなレビナスには無理だった。年寄りたちの目を盗んでは抜けだして、山里の村の近くで人の暮らしを見た。同じくらいの若い少年少女が楽しそうに語り合い遊んでいるのを羨ましく思っていた。
 この辺りの村の者は羽根のある者の存在を知っていても声を掛けずにそっとしておいてくれる。だが、逆に声を掛ければ話すことは出来るのだが、レビナスには思いきれない。
 ある日、一人の少年を一目見た時にレビナスは胸の高鳴りを感じた。
 まず、どうしてこうも違うのだろうと不思議でたまらなかった。羽根を持つ人々は皆華奢で白く、男も女もそう区別がつかない。だが浅黒い肌、がっしりとした体躯で一目で男らしいと思える少年に憧れを抱いた。次に何故彼にだけこんなに惹かれるのだろうというのが不思議だった。  
 世界が色を失い、彼だけがその中で瑞々しい色彩を帯びているかのようにルビナスには見えた。そして引き寄せられるように毎日彼を見ているうちに、少しづつただの憧れとは違う何かをレビナスは感じ始め、そんな自分の心に戸惑った。
 村の年寄りが言っていた。誰にでも運命の人はいる、だからその人に会ったらすぐにわかると。これがそうなのかもしれない、レビナスはそう思ったが、羽根のある者は若いうちは見た目で男女の差がほとんどわからないし同性で愛しあうものも普通にいるとはいえ、一応はレビナスは男なのだ。少女に惹かれると言うならわかるのに……。
 それでも目を離せない。森を抜け出せなくて彼の姿を見ることが出来なかった日は眠れないほど気になった。
 こうして自分が見ていることも知らないかもしれない。黙ってずっと見つめ続けるしか出来ない。名前も歳もわからない、ただとても大好きな人。
 話してみたい、声を聞きたい、触れてみたい、仲良くなりたい……日に日に募る想い。
 せめて僕が女の子だったら良かったのに。こちらから声を掛けられたかもしれないのに。
 剣が力強く振り抜かれるたび、森の木の切り株のような暗い色の髪が揺れるのを、きりりとした濃い青の瞳が輝くのを、額に汗が光るのをレビナスはうっとりと見ている。遠の前からカリウスが気がついていることも、密かに気にかけていることも知らずに。
 言葉を交わすでもなく、見つめ合うでもなく。それでも互いにとって最も幸せな時間だった。

 そんな日々にある時突然転機が訪れた。
 カリウスは今日もわざと見えるように素振りをしていた。
 また見てるね、今日は風が強いから、木の影からチラチラと靡いた綺麗な色の髪が見えてるよ……そう言いたかったが言えずにただ黙々と剣を振るうカリウス。
 びゅうと一陣強く吹き抜けた風に巻き上げられた砂埃に、思わず目を閉じたカリウスの耳に小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
 男とも女ともつかぬ声。
「いや。怖い……」
 怯えが滲む声に気になって、カリウスはそっと木の陰に隠れている人の方へ近づく。
 覗きこむと、地面に伏せている人影。まず真っ白な羽根が目に入った。そして陽の光を糸にしたような輝く長い髪が。その肩に灰色の小さな蛇が乗っていた。
 毒のない蛇だし蛇の方も怖かっただろうが気持ち悪いかもしれないな、そう少しホッとしてカリウスは蛇を掴んで退けてやった。
「もう大丈夫だ。風で木が揺れて上から落ちてきたんだな」
 自分から声を掛けるという禁忌を犯したと言うことにカリウスは気が付かなかったが、地面に臥せっていた羽根のある人が顔を上げた。
 紫の宝石の如き瞳がカリウスを捉えた。やや怯えたような色を湛えて。
「あり……がとう」
 鈴を転がすような声。
「立てる?」
「うん……」
 カリウスが手を差し出すと、白い細い指の小さな手がおずおずと乗せられた。
 立ち上がると体の大きなカリウスの肩ほどしかない、小さく細い体。
 ああ、だがこんなに美しいものを生まれて始めてみたとカリウスは思った。これがいつも感じていた視線の正体なのだと。羽根のある人の事はよくわからないが、どうも女では無いようだ。それでも嫌な気がしないのは何故だろうとその事がカリウスにも不思議だった。
「……いつも俺の事を見てるよね」
 思い切って口を開くと、またビクリと身を竦めて怯えたように後ずさる羽根のある人。
「ごめんなさい!」
 今にも泣き出しそうな顔でぺこりと頭を下げると、背中の羽根を広げて飛び立とうとしたので、慌ててカリウスはその手を掴んだ。
「待って、怒ってない。その……俺も嬉しかった」
「え?」
 泣き出しそうな顔をしていた羽根のある人はまた羽根を畳んだ。
「俺はカリウス。君は?」
「レビナス……」
 小さな声で返事が返って来て、嬉しくて頬が緩むのをカリウスは必死でこらえた。
「他の誰にも言わない。だからレビナス、また来てくれるかな?」
「……いいの?」
 更にカリウスが言葉をかけようとした時、遠くで使用人がカリウスの名を呼んでいるのが聞こえた。
「また……来る」
 人に見つかってはまずいのだ。今度こそレビナスは慌てて飛びだった。
 レビナスの有翼の姿が森の奥に消えても、カリウスは呆けたように立ち尽くしていた。
 木々の間を縫うように飛びながら、レビナスもまた熱い頬を押さえ、自分の胸の鼓動だけがいやにはっきりと聞こえて恥ずかしかった。
 会話とも言えぬほんの少し交わしただけの言葉。
 だが二人は一瞬で恋に落ちた。いや、もっと前から形にならなかったそれぞれ思いがやっと固まった瞬間だったのかもしれない。
 やっと顔を見られた、声が聞けた。その手に触れたれた。
 見てるのに気がついてた。怒ってないって言った。また来てって言ってくれた。

 カリウス、カリウス。

 レビナス、レビナス。

 夜寝床に潜り込んでも、二人は共にその名を呪文のように心のなかで繰り返し、その顔を思い浮かべて眠れぬまま朝を迎えた。

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